真言律宗

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岩船寺 京都府

アジサイの名所として知られる寺。行基が開基と伝えられ、本尊の阿弥陀如来坐像や普賢菩薩騎象像など多くの重要文化財がある。

日々是好日写真日記 般若寺 奈良県

飛鳥時代に高句麗の慧灌法師によって開かれた。735年に聖武天皇が平城京の鬼門を守るため『大般若経』を収め卒塔婆を建てたのが寺名の起こり。コスモス寺との愛称で親しまれる。

海龍王寺 奈良県

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平城京への遷都の際、藤原不比等の邸宅北東隅にあった寺院が海龍王寺の前身。不比等の娘の光明皇后のとき遣唐使の玄昉が『海龍王経』を唱え無事に帰国したことにちなんで、海龍王寺となる。高さ4mの五重小塔の国宝がある。

蓮華院誕生寺奥之院 熊本県

熊本県玉名市生まれた皇円上人の地で、本尊を皇円大菩薩とする寺

真言律宗とは

鎌倉時代の初め、叡尊上人(1201~1290)がおこした真言系の律宗。 本山は奈良県奈良市の西大寺。1895年に真言宗から「真言律宗」として独立する。

お経は『大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)』・『金剛頂経』・『四分律』・『梵網経』。

本山:西大寺(さいだいじ)

764年、藤原仲麻呂の反乱に際して、孝謙天皇(称徳天皇)が反乱鎮圧を祈願して、鎮護国家の守護神として登場する四天王像を造立することを発願した。

翌年765年に金銅製の四天王像を鋳造され、西大寺が創建された。

「西大寺」の寺名は華厳宗総本山「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂・弥勒金堂・四王堂・十一面堂・東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられた。

父の聖武天皇は平城京の東に東大寺を創建し、娘の孝謙天皇は西に西大寺を創建した。

開祖:叡尊(えいそん)

西大寺は都が平安京に移ったことや災害にもあい衰微した。その後、鎌倉時代に叡尊によって再興された。

叡尊は大和国添上郡箕田里(現在の奈良県大和郡山市白土町)で興福寺学侶慶玄の子として生まれた。11歳で醍醐寺(真言宗醍醐派総本山:京都市伏見区)の叡賢に預けられる。17歳で醍醐寺で出家、東大寺戒壇で受戒した。高野山などで修行を重ねて1235年に西大寺に入った。

当時の密教行者の中には堕落する者が多く、叡尊は疑問を抱き、密教修行によって悟りに到達するためには、その前提として釈尊が定めた戒律をしっかりと遵守することが肝要であると確信し、生涯の活動の中心となる戒律復興の志をたてた。

荒廃した西大寺の再建に全力を注ぎ、当時遵守されなくなっていた戒律を重視し釈尊本来の仏教に立ち戻ろうとした戒律復興の活動をし、当時非人と呼ばれ社会的に疎外された階層の人々を中心に救済の手を差しのべてゆく社会救済の活動を行った。

また叡尊の高弟良観(りょうかん)は西大寺の叡尊を師として、真言密教や戒律受持の教えを授かり、貧者や病人の救済に努力をした。後に活動の拠点を東国鎌倉に移し、より大規模に戒律復興と社会事業を展開した。

叡尊は1300年に伏見上皇より「興正菩薩」の諡号、良観は1328年に後醍醐天皇より「忍性菩薩」の諡号を授かる。

宗派名真言律宗
本山西大寺(勝宝山四王院西大寺)
本尊釈迦如来立像
寺数90
住所奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
公式サイト真言律宗総本山 西大寺 (saidaiji.or.jp)
西大寺 奈良 / Saidai-ji Temple(NaraKyoto・Nara Shrines&Temples 京都・奈良神社仏閣動画より)

真言律宗と真言宗の違い

1895年に真言律宗は真言宗から独立した。

真言宗の宗祖は空海(弘法大師)。中国密教の教えを日本に伝え、さらに独自の考え方をすすめて真言宗を開いた。

真言宗は釈迦如来や諸仏によって説き顕された顕教ではなく、永遠不変の全宇宙そのものである大日如来の説いた密教をもっともすぐれた教えとしている。

印を結び(身密)・真言を唱え(口密)・仏を念ず(意密)という三密修行によって、仏と一体となることができるとする。また密教の世界観は「曼荼羅」で表され、大日如来の慈悲のはたらきと智慧のはたらきを対として表し、全宇宙の理想を表わしたものとする。

叡尊を宗祖とする真言律宗は、鎌倉時代の堕落した密教行者を目の当たりにし、またおろそかになっていた戒律の教えを最も尊重したことにある。

戒律と密教のどちらも大切なものとして、仏教開祖の釈迦如来本来の仏教に立ち返り各地を布教しつつ、広く民衆救済につとめたのが真言律宗。

光明宗法華寺が分かれた

光明宗は奈良県奈良市法華寺町にある法華寺(ほっけじ)を本山とする単立寺院。1999年に真言律宗から分かれた。

法華寺は華厳宗総本山の東大寺を建立した聖武天皇の后「光明皇后」を開基とする。

聖武天皇が仏教による鎮護国家のため全国に国分寺を建て、東大寺を総国分寺と位置づけたように、法華寺もまた全国の国分尼寺の総本山と位置づけられた。

平安京遷都後は衰退したが、鎌倉時代に真言律宗の開祖である叡尊などにより復興された。

光明皇后ゆかりの法華寺は、16世紀後半の桃山時代に後水尾天皇の娘である高慶尼が寺に入ってからは皇室や摂家の姫君が住職をつとめる尼門跡寺院の尼寺となる。国宝で本尊の十一面観音菩薩立像は、光明皇后をモデルにしていると伝えられる。

宗派名光明宗
本山法華寺
(法華滅罪之寺)
本尊十一面観音菩薩
住所奈良県奈良市法華寺町882
公式サイト総国分尼寺 法華寺門跡 (hokkejimonzeki.or.jp)
奈良 法華寺【GoPro8】Hokkeji Temple in Nara(osmo散歩より)

※日本の仏教宗派において初めて女性の門主を輩出したのは、1336年の真宗佛光寺派の9世了明尼とされる。