真言律宗

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真言律宗とは

鎌倉時代の初め、叡尊上人(1201~1290)がおこした真言系の律宗。 本山は奈良県奈良市の西大寺。1895年に真言宗から「真言律宗」として独立する。

お経は『大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)』・『金剛頂経』・『四分律』・『梵網経』。

本山:西大寺(さいだいじ)

764年、藤原仲麻呂の反乱に際して、孝謙天皇(称徳天皇)が反乱鎮圧を祈願して、鎮護国家の守護神として登場する四天王像を造立することを発願した。

翌年765年に金銅製の四天王像を鋳造され、西大寺が創建された。

「西大寺」の寺名は華厳宗総本山「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂・弥勒金堂・四王堂・十一面堂・東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられた。

父の聖武天皇は平城京の東に東大寺を創建し、娘の孝謙天皇は西に西大寺を創建した。

開祖:叡尊(えいそん)

西大寺は都が平安京に移ったことや災害にもあい衰微した。その後、鎌倉時代に叡尊によって再興された。

叡尊は大和国添上郡箕田里(現在の奈良県大和郡山市白土町)で興福寺学侶慶玄の子として生まれた。11歳で醍醐寺(真言宗醍醐派総本山:京都市伏見区)の叡賢に預けられる。17歳で醍醐寺で出家、東大寺戒壇で受戒した。高野山などで修行を重ねて1235年に西大寺に入った。

当時の密教行者の中には堕落する者が多く、叡尊は疑問を抱き、密教修行によって悟りに到達するためには、その前提として釈尊が定めた戒律をしっかりと遵守することが肝要であると確信し、生涯の活動の中心となる戒律復興の志をたてた。

荒廃した西大寺の再建に全力を注ぎ、当時遵守されなくなっていた戒律を重視し釈尊本来の仏教に立ち戻ろうとした戒律復興の活動をし、当時非人と呼ばれ社会的に疎外された階層の人々を中心に救済の手を差しのべてゆく社会救済の活動を行った。

また叡尊の高弟良観(りょうかん)は西大寺の叡尊を師として、真言密教や戒律受持の教えを授かり、貧者や病人の救済に努力をした。後に活動の拠点を東国鎌倉に移し、より大規模に戒律復興と社会事業を展開した。

叡尊は1300年に伏見上皇より「興正菩薩」の諡号、良観は1328年に後醍醐天皇より「忍性菩薩」の諡号を授かる。

宗派名真言律宗
本山西大寺(勝宝山四王院西大寺)
本尊釈迦如来立像
寺数90
住所奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
公式サイトhttp://saidaiji.or.jp/

真言律宗と真言宗の違い

1895年に真言律宗は真言宗から独立した。

真言宗の宗祖は空海(弘法大師)。中国密教の教えを日本に伝え、さらに独自の考え方をすすめて真言宗を開いた。

真言宗は釈迦如来や諸仏によって説き顕された顕教ではなく、永遠不変の全宇宙そのものである大日如来の説いた密教をもっともすぐれた教えとしている。

印を結び(身密)・真言を唱え(口密)・仏を念ず(意密)という三密修行によって、仏と一体となることができるとする。また密教の世界観は「曼荼羅」で表され、大日如来の慈悲のはたらきと智慧のはたらきを対として表し、全宇宙の理想を表わしたものとする。

叡尊を宗祖とする真言律宗は、鎌倉時代の堕落した密教行者を目の当たりにし、またおろそかになっていた戒律の教えを最も尊重したことにある。

戒律と密教のどちらも大切なものとして、仏教開祖の釈迦如来本来の仏教に立ち返り各地を布教しつつ、広く民衆救済につとめたのが真言律宗。