尼崎 月峯山大覚寺 兵庫県
推古13年(605)に聖徳太子が、百済の高僧日羅上人に命じて作らせたと伝えられる尼崎最古の寺。
律宗とは
律宗は中国唐時代の僧侶、南山大師道宣(596~667)によって開かれた南山律宗がはじまり。律宗を日本に伝えたのは、道宣の孫弟子にあたる鑑真(688~763)。
754年に日本に渡った鑑真は、正式な僧侶になるための受戒の根本道場、戒壇院を日本にはじめて建てた。
日本の律宗の祖となった鑑真は、華厳宗の東大寺(奈良県奈良市雑司町)で5年を過ごした後、天武天皇の子である新田部親王の旧邸宅(現在の奈良市五条町)を下賜され、759年に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場「唐招提寺」を開いた。当初は「唐律招提」と名づけられた鑑真の私的な寺だった。唐招提寺は、現在、世界文化遺産に登録されている。
律宗は仏道修行にあたって悪い行いをしないように自らに課する「戒」と、お釈迦様が僧団のために定めた「律」を教えの中心とする。
宗派名 | 律宗 |
本山 | 唐招提寺 |
本尊 | 廬舎那仏(るしゃなぶつ) |
寺数 | 30弱 |
住所 | 奈良県奈良市五条町13-46 |
公式サイト | https://toshodaiji.jp/ |
真言律宗との違い
真言律宗の総本山は、同じく奈良市にある西大寺。
759年に開かれた唐招提寺と同じころ、765年に孝謙天皇が鎮護国家の守護神として四天王像を造立し西大寺をおこす。西大寺は朝廷の保護を受けた巨大な伽藍をほこる官寺であったが、遷都後の火災もあり平安時代は衰退する。
- 西大寺(真言律宗本山)
- 東大寺(華厳宗本山)
- 法隆寺(聖徳宗本山)
- 薬師寺(法相宗本山)
- 興福寺(法相宗本山)
- 元興寺
- 大安寺
南都七大寺の一つでありながらも荒廃していた西大寺を復興したのが、鎌倉時代の叡尊。真言密教を学んだ叡尊は廃れかけていた戒律を復興し、西大寺を密と律(真言律)の根本道場とした。
律宗は鑑真にはじまる奈良時代を代表する奈良仏教(南都六宗の1つ)であるのに対して、真言律宗は奈良仏教の流れを受け継ぎつつも、鎌倉時代に叡尊が西大寺を再興し密教と戒律の融合を果たした鎌倉仏教の1つ。