単立/その他の派

歓喜山浄光寺 (浄土真宗浄興寺派)千葉県

千葉県印西市木刈(千葉ニュータウン)にある寺

泰心山 西栄寺 (単立)大阪府

1996年に「宗教法人 西栄寺」の認可

正山寺 (浄土真宗東本願寺派) 東京都

1615年に開基の東京都町田市にある寺

ちいさなお寺 倶生山 慈陽院 なごみ庵 (単立)神奈川県

令和で最初に認可された宗教法人らしい(自称)

徳入寺 (浄土真宗東本願寺派) 神奈川県

麻布山善福時(浄土真宗本願寺派)の末寺として1640年に開基

雲城山正教寺 (単立) 和歌山県

和歌山市冬野にある寺

三輪精舎 正行寺 ロンドン道場(浄土真宗東本願寺派)

三輪精舎(Three Wheels)は福岡県筑紫野市にある正行寺の道場として、1994年にロンドンに設立

真宗浄興寺派とは

真宗浄興寺派の本山浄興寺は、親鸞聖人に由来する寺院。

1207年、親鸞聖人は念仏禁止令により京都から越後の国府(新潟県上越市)に流罪となった。1214年に妻子とともに常陸国(茨城県)へ移り、笠間郡稲田郷(現在の笠間市稲田町)に稲田草庵を開いた。

親鸞はこの稲田草庵で、浄土真宗の根本聖典である『教行信証』を著した。

浄興寺派の由緒によると、親鸞は教行信証を著したその喜びの気持ちを山号・寺号に顕され、1224年にこの稲田草庵を歓喜踊躍山浄土真宗興行寺、略して浄興寺と名づけたとする。ここから浄興寺の歴史が始まったとしている。

*流罪した親鸞の詳しい行跡記録がないことから、稲田草庵が浄興寺となったのには否定的な考えもある。現在この稲田草庵の跡地には西念寺があり、親鸞が京都に帰ったのちの1304年に寺を開創し西念寺と寺号を定めたとしている。

1262年に亡くなった親鸞の頂骨や遺宝物は善性上人によって稲田浄興寺に安置されたが、後に稲田浄興寺は火災を受け、寺を信濃国水内郡太田庄長沼(現在の長野県長野市)へ移ったとされる。

1561年、川中島合戦の兵火を受けふたたび焼失する。1567年に上杉謙信の庇護により越後春日山(現在の新潟県上越市)に移った。1665年の地震により堂宇が崩壊し、時の藩主松平光長の市街復興計画に従い、1737年に堂宇を建立し現在に至る。

1599年に本願寺の東西分派に際して大谷派(東本願寺)に組したが、1952年に宗教法人法の施行により、真宗浄興寺派として独立を果たす。

宗派名真宗浄興寺派
本山浄興寺(歓喜踊躍山興行寺)
本尊阿弥陀如来
寺数10強
住所新潟県上越市寺町2丁目6-45
公式サイト浄興寺(johkohji.com)
【”しーずん2”開戦!】演武めぐり#21【浄興寺】(越後上越上杉おもてなし武将隊より)

浄土真宗東本願寺派とは

浄土真宗東本願寺派は、京都にある真宗大谷派の本山東本願寺とは別の宗派である。真宗大谷派の東本願寺派俗称であり、真宗大谷派の本山の正式名称は真宗本廟。

東本願寺を正式名称とする本山は、東京にある浄土真宗東本願寺派である。

1981年に浄土真宗東本願寺派は真宗大谷派との包括関係を廃止し、単立宗派として独立。

東本願寺派の歴史

1591年東京の神田に本願寺11世教如上人によって開かれる。京都の本願寺の江戸出張所のような役割で、光瑞寺となのった。

1609年に同じ神田域内で更に広い土地へ移転し、

※1621年、浅草には浄土真宗本願寺派本山本願寺派の別院、江戸浅草御堂が創建された。

1657年の明暦の大火のあと、現在の浅草に移転し、「浅草本願寺」となる。

※浅草にあった本願寺派西本願寺の浅草御坊は築地に移転し、「築地本願寺」として現在にいたる。

1965年に浅草本願寺から「東京本願寺」に名称を改める。

1981年に真宗大谷派との包括関係をやめ、単立宗派として独立する。

2001年4月26日に東京本願寺から現在の名称、「浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺」に改める。

本山東本願寺派の東本願寺と末寺の関係は互いに単立

「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」は単立寺院として独立した。

また本山を東本願寺とする末寺も、本山東本願寺と末寺は包括関係を結んでいない関係で、お互いに単立宗教法人の寺院という形となっている。

宗派名浄土真宗東本願寺派
本山浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺
本尊阿弥陀如来
寺数約300
住所東京都台東区西浅草1-5-5
公式サイト浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 (honganji.or.jp)
東本願寺(東京・台東)[ Higashi honganji Temple ](JAPAN TEMPLE(ジャパンテンプル)より)