木辺派

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真宗木辺派とは

真宗木辺派(きべは)は10ある伝統的な浄土真宗宗派の一派。滋賀県の野洲市木部に本山錦織寺(きんしょくじ)を構える。

真宗十派の本山うち、京都府には興正派・佛光寺派・大谷派・本願寺派の4派、福井県には出雲路派・誠照寺派・讃門徒派・山元派の4派、三重県には高田派があるが、滋賀県には木辺派の一派だけである。

真宗十派で最も古い歴史

木辺派の歴史は858年に創建の天安堂までさかのぼる。

比叡山延暦寺の第三世座主であった円仁が夢に「江州(滋賀県)野洲の郡に一夜に松が生えているところがある。そこへ私を移して欲しい」という毘沙門天王のお告げを受け、弟子の円智を遣わせて「一夜にして一丈六尺に成長した松の霊木」の辺にお堂を建てたことにはじまる。

堂内に安置された毘沙門天王像は、日本の天台宗の開祖の最澄が比叡山東塔の霊木で作った像を移したと伝えられる。そのお堂と松の周りには人々が集り住み、霊木の辺の村から「木辺村」と呼ばれるようになり、現在は「木部」と書くようになった。

円仁は天安(857~859)の年号から「天安堂」の額を掲げ、毘沙門天王像を本尊としてまつった。

浄土真宗の根本聖典を完成させる

浄土真宗宗祖の親鸞は9歳から20歳まで比叡山延暦寺で過ごした。その後、法然門下で専修念仏の教えにであった親鸞は越後に流罪のあと関東にて布教を続け、茨城県稲田の草庵にて専修念仏の教えを体系的にまとめた『教行信証(顕浄土真実教行証文類)』を1224年におおよそ完成させた。

親鸞は1235年に関東から京都へかえるときに、滋賀県木部の里の天安堂にて歩みを留め、茨城県の霞ヶ浦の湖中より引き上げ常に持ち運んでいた阿弥陀如来像を安置し、浄土真宗の教えを説いた。この阿弥陀像が現在の錦織寺の本尊。

木辺派によると、親鸞は稲田の草庵で「教行信証」全6巻の4巻を書き、木部天安堂への滞在中に残りの「真佛土巻・化身土巻」の2巻を完成させたと伝える。錦織寺の御影堂におまつりする親鸞の絵姿は「教行信証」完成をよろこんだ様子を描いたものということで、正面向きの「満足の御影」と呼ばれる。

錦織寺の寺号は親鸞滞在中の1238年、天女が蓮糸で錦を織って仏前に捧げたとの伝えから、四条天皇が「天神護法錦織之寺」の勅額を賜ったことに由来する。

親鸞の後

親鸞が錦織寺を去ったあとは、親鸞の弟子である性信・願性・善明・愚咄・慈空らの下総国(茨城県)の横曽根門徒が寺を守り、そこへ親鸞の玄孫存覚の子の慈観が寺に入り住職となった。

錦織寺は1694年に全焼し、1701年に御影堂、1748年に鐘楼、1831年に阿弥陀堂、1861年に天安堂が再建された。

宗派名真宗木辺派
本山錦織寺(遍照山天神護法院錦織寺)
本尊阿弥陀如来
寺数200弱
住所滋賀県野洲市木部826
公式サイトhttp://www.kinshokuji.or.jp/

木辺派錦織寺の特徴

  • 真宗十派で最も古い歴史をもつ
  • 木辺派錦織寺は親鸞の足跡を残す唯一の本山
  • 浄土真宗本山は阿弥陀如来をまつる阿弥陀堂と、宗祖を祀る御影堂の二堂が並んで建つが、錦織寺の場合は二堂に加えて毘沙門天王の天安堂があり三堂が並んで建つ
  • 浄土真宗本山は阿弥陀仏の西方極楽浄土を拝むように阿弥陀堂が東向きだが、滋賀県の木辺派と三重県の高田派は南向きにお堂が建てられている