長慶寺 たいえんちょうけいじ 福井県
長慶寺は北陸の山岳地で行を修めた奈良時代の泰澄を開祖とする。江戸中期に浄土真宗に改める
善源寺 埼玉県
1976年に北葛飾郡松伏町に開かれた寺
真宗出雲路派とは
真宗出雲路派(いずもじは)は10ある伝統的な浄土真宗宗派の一派。福井県にある浄土真宗越前四箇本山のひとつ。
- 真宗出雲路派:本山毫摂寺
- 真宗誠照寺派:本山誠照寺
- 真宗三門徒派:本山専照寺
- 真宗山元派:本山證誠寺
1233年、浄土真宗の宗祖親鸞聖人が京都上加茂と下加茂の間の山城国愛宕郡出雲路(現在の京都市左京区あたり)に、草庵をつくったのが出雲路派のはじまりとされる。
その後、本願寺3世覚如上人の高弟である乗専上人が、出雲路に毫摂寺(ごうしょうじ)を創建したとされる。
室町時代、応仁の乱の兵火で堂宇が焼け、第5世善幸上人は越前国山元の庄(現在の福井県鯖江市神明町)に移動し、證誠寺(しょうじょうじ:現在の真宗山元派本山)に身を寄せて世話になる。
1575年第11世善秀上人のとき、織田信長と一向一揆の戦いに巻き込まれて、山元の庄毫摂寺の堂宇が焼失した。毫摂寺は横越庄に移っていた證誠寺に再び滞在したが、ほどなくして證誠寺と仲たがいし別れることとなる。
善秀には跡継ぎがおらず、藤原北家の日野家の分流の柳原家より12世善照上人をむかえる。善照は1596年、現在地である清水頭にて伽藍をととのえ毫摂寺を再建した。この地には聖徳太子堂があり、豊臣秀吉により除地朱印(年貢を免除された土地)となっていたとされる。
越前市にあった小丸城の城下町五分市(ごぶいち)は毫摂寺の建立によって門前町となり、毫摂寺は「五分市本山」とも呼ばれるようになった。
光明天皇・後柏原天皇・後陽成天皇より勅願所の綸旨を賜り、江戸時代は院家として天台宗青蓮院に属していた。
1872年に教部省設置にかかる指令により浄土真宗本願寺派と一時合流したが、1878年に教部省廃止をうけて真宗出雲路派として独立を果たす。
宗派名 | 真宗出雲路派 |
本山 | 毫摂寺(出雲路山毫摂寺) |
本尊 | 阿弥陀如来 |
寺数 | 50強 |
住所 | 福井県越前市清水頭町2-9 |
公式サイト | 真宗出雲路派 本山 毫摂寺 (goushouji.jp) |
*毫摂寺は毫攝寺と表記することもあるが、ここでは毫摂寺で統一した。理由は公式サイト:真宗出雲路派本山毫摂寺がウェブサイト内での表記を毫摂寺で統一していることに加え、現在では「摂」は常用漢字、「攝」は常用漢字外(人名用漢字)として扱われているからだ。
*ただし御影堂門横の石碑には毫攝寺と刻まれたり、観光案内パンフレット等には毫攝寺の表記で紹介されている。