華厳宗

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華厳宗とは

聖武天皇が発願した奈良県東大寺を中心として栄えた華厳宗は、明治には浄土宗に所属したが、1886年に一宗として独立した。

奈良時代に奈良の平城京(奈良県奈良市)を中心に発展し、南都六宗の中心的存在であった。

華厳宗の教えは『華厳経(大方広仏華厳経)』のお経をよりどころとし、仏教の基本思想の「縁起」に基づいている。縁起は一切のものごとはお互いに関係しあい起こり移り変わっていくことだが、華厳宗ではこの縁起をさらに4種類に分類して「法界縁起(ほっかいえんぎ)」を思想の中心にしている。

中国の華厳宗

華厳宗は中国の唐代に形成された『華厳経』を大切な経典とする仏教宗派。

  1. 杜順(とじゅん)
  2. 智儼(ちごん)
  3. 法蔵(ほうぞう)
  4. 澄観(ちょうかん)
  5. 宗密(しゅうみつ)

華厳宗は「五祖」と呼ばれる五人の高僧によって、6~8世紀の間に大成した。

日本の華厳宗

日本に伝わったの8世紀とされ、聖武天皇(しょうむ)が南都六宗の中心的存在として奈良の東大寺を完成せた。東大寺の開祖(別当)は良弁(ろうべん:689~773)とされる。

日本には6世紀の飛鳥時代に仏教が伝来した。

7世紀から8世紀の奈良時代になると仏法が盛んになったが、一方で国は政変・飢饉凶作・大地震・天然痘の大流行などで混乱の世の中だった。そこで聖武天皇は各地に国分寺・国分尼寺の仏教寺院を建立し、仏教の力で国をまもる鎮護国家を目指した。

740年、聖武天皇は『華厳経』の教えを所依とし、盧舎那(毘盧遮那仏)大仏造立を強く願われたが、まずは『華厳経』の教理の研究がまず必要とした。

そこで良弁は大安寺(奈良市大安寺町)の審祥を招いた。審祥は新羅から唐に渡り、中国の華厳宗の3祖の法蔵から華厳宗を学んだ人物。

本山:東大寺(とうだいじ)

東大寺および大仏は聖武天皇や国家の力だけでは完成できないため、行基が全国をまわって大仏造立の意味を説き、物資や人手を集めました。

国の力を一点に集中させて751年に大仏殿が完成し、752年に大仏開眼供養会が行われた。

翌年753年には、唐から来日した鑑真(日本の律宗の開祖)が東大寺に戒壇院を設け、正式な僧侶になるための受戒の根本道場をつくり、僧侶の育成にあたった。

平安時代の末、平氏は大和国(奈良県)を勢力下におき、平氏政権と東大寺をはじめとする南都が対立した結果、1181年、平清盛の命を受けた平重衡らが南都を焼きはらった。この火災により東大寺は主要な伽藍を失った。

その後、後白河上皇の鎌倉時代になり、源頼朝の協力もあり大仏や諸堂の再建がされ、1185年に大仏開眼供養、1190年に大仏殿が完成した。運慶快慶の東大寺南大門金剛力士像(国宝)もこのころに造られたもの。

戦国時代には兵火にあい、1567年に大仏殿をはじめとする多くの建造物が焼失し、大仏も溶け崩れた。1684年に三論宗の僧侶の公慶により、1691年に大仏の修理が終わり、1708年に大仏殿の再建が終わった。

1998年に古都奈良の文化財の一部として、東大寺はユネスコより世界文化遺産に登録される。

宗派華厳宗
本山東大寺(金光明四天王護国之寺)
本尊盧舎那仏
寺数60弱
住所奈良県奈良市雑司町406-1
公式サイトhttp://www.todaiji.or.jp/